2017年08月10日

弄飲みられ

「もう杖は必要ないんだね。驚いたよ、すっかり元通りじゃないか。」
「先生が、プールでのリハビリを勧めてくださったおかげです。」
「君が頑張ったからだと聞いているよ。小橋先生は熱心で、よく勉強しているだろう?そう感じた事は無い?」
「はい、リハビリを終えた後で、色々なことをアドバイスして下さいま柏傲灣す。たくさんの資格を持っているみたいです。仕事を終えてからも、後輩たちの体のケアもされているそうです。」
「ああ、今も続けているんだね。彼にも色々あったからね。」
「色々……?」
「それより君、今日は勤務じゃなかったのか?抜けて来たのか?」
「そうだったんですけど、相手が体調崩したと電話が有ったんです。ほら、朔良君も知っている石泉園のおじいちゃん。」
「大丈夫なんですか?」
「心配ない。軽いぎっくり腰だそうだよ。数日お休みしたら、またお願いしますと言っていた。……それより、先生。朔良君にいい学校を紹介してあげてくださいと、頼みに来たんだった。」

主治医は分厚い茶封筒を取り上げた。


森本の淹れたコーヒーの、馥郁とした香りだけが揺らぐ静かな空間だった。

「小橋先生は、僕をとても良く見てくださっていると思います。でも、僕は……先生の期待を裏切ると思います。周囲から何て噂されているか、僕も知っていますから……本当に見た目だ柏傲灣けの冷たい氷の王子さまですよ、僕は。」
「なぜ、そんな風に言われると思う?」

小橋は躊躇なく、力強く肯いた。
ひくっとひきつるような嗚咽が漏れると、もう堰を切ったように涙は溢れて止まらない。
朔良の中の氷が、小橋によって温められ解けだしたようだった。

「朔良君……」

腕の中にいる華奢な生き物を抱きしめた小橋は、僥倖に震えていた。
朔良が求めていたものを、小橋は初めて理解した気がする。
この青年はこれほどまでに、純粋に誰かに愛されたかったのだ。

朔良の欲求と小橋の告白が奇跡のように合致した。
小橋はそっと朔良の唇に触れた。柔らかな感触に互いの鼓動がはねる。
合わさった桜色の二枚貝は薄く開き、ぎこちなく小橋に応えた。朔良の濡れた頬に朱が走っていた。

「織田朔良が不審者に襲われてるって、外科のナースが血相変えて走って来たんだよ。慌てるだろう?」
「はぁ?小橋先生は柔道の有段者ですよ。それに……こんな白昼堂々、医者の部屋で誰が襲うって?ちょっと考えればわかるでしょう。」
「すまん。事態をちゃんと確認すべきだった。」
「僕を幾つだと。それに、助けに来て投げられたら何の意味もないでしょう、みっともない。」
斜に構えた朔良が腕を組み、冷ややかな視線を向けた。

「後先考えないで、力押しみたいなことやってるから、こうなるんだ。」

小橋はがしがしと頭を掻いた。
島本に対する朔良の冷たい態度は、先ほど自分柏傲灣の胸の中で泣いた人物と同じだとは思えない。

「抱き上げたいくらいなんだけれど、叱られそうだからやめておくかな。」

朔良はふと踊り場から階下を見下ろして、思わず歓声を上げた。

「わあ。すごい!」

桜並木を見下ろした形になって、薄桃色の桜花は風にる度、ざっと音を立てて花弁を散らした。


くすくすと朔良が笑う。

「小父さんだなんて思っていませんよ……って言ったのに、信じないんですか?」

小橋はグラスを取り上げると、冷たいジンジャーエールを一口飲んだ。
そのまま近寄ると、ついと朔良の顎を持ち上げた。
朔良が頷くと、小橋の顔が近づいて来る。こくりと喉を冷たい物が流れてゆく。
首筋に溢れたジンジャーエールを、小橋は舐めとった。
朔良の腕が、小橋の背に回り、二人は何度も口づけた。浅く深く、求め合うキスは、ジンジャーエールの味がした。



Posted by だけを平らに削っ at 13:19│Comments(0)
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